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Road to TOP RUNNERS  服部 太一 氏

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大企業のM&Aを経験し、事業開発から現場叩き上げのCFOへ                 
Indeed買収とSHIFTの基盤構築を担い、数字で未来を描く戦略家に進化


リクルートのM&Aで過去最大級の成功事例となったIndeedの買収を担い、米国本社のCFOとして同社の成長を支えた服部太一氏。その後、SHIFTでも取締役CFOとしてガバナンス体制の構築を牽引。在任中に売上高400億円台から1,000億円突破へと至る、劇的なスケールアップを支えました。 

これら先進企業での躍進を支える土台となったのは、新卒で入社したNTTでの強烈な原体験です。若き日にM&Aでの巨額損失の現場を目撃したことからリスク管理の重要性を学び、その後は事業開発部門で「数字で事業を語る力」を徹底的に磨き上げました。実務経験を泥臭く積み上げ、現場叩き上げで経営を担うCFOへと至る道を体現したロールモデルです。 独自のルートを切り拓いてきた、その情熱と進化の軌跡に迫ります。



※以下、本稿では記事の読みやすさを考慮し、会社名の法人格(株式会社等)を省略して記載しています。


▶1998年〜2006年:NTTコミュニケーションズ時代

5,500億円の巨額損失が残した教訓。事後対応の現場で学んだM&Aのリアル



——グローバルな大型M&Aを数多く牽引してこられた服部さんですが、キャリアの出発点はNTTでした。就職活動では、どのような軸で企業を選んでいたのでしょうか。

服部: 私がキャリアをスタートさせた1998年は、インターネットが産声を上げたばかりの黎明期でした。若い人にはピンとこないかもしれませんが、電話回線からFAXのような通信音を鳴らしながらネットワークに繋がっていた時代です。パソコンが初めて外の世界と接続される光景を目の当たりにして、これからは情報通信、今の言葉だと「IT」の領域が社会を動かしていく予感がしました。

もう一つの大きな軸は海外です。学生時代に1年間大学を休学してアメリカを放浪した経験から、世界を舞台に働くことが自分のキャリアの可能性を広げるはずだと思っていました。この「IT」と「グローバル」という2つの軸を掛け合わせたとき、NTTが自分に最もフィットする挑戦の場だと考えたのです。

——当時のNTTは、まだ海外事業に制約があった時代ですよね。

服部: はい、法的な規制や独占禁止の観点から、NTTが海外で直接ビジネスを行うことは禁じられていました。しかし、ちょうど私が入社するタイミングで組織再編が決定し、地域会社と、長距離・国際通信を担う新会社(後のNTTコミュニケーションズ)への分割が進められていたのです。新会社であれば、国際事業への進出が認められます。NTTでITの基礎を固めながら、世界へ羽ばたけるチャンスがあるかもしれない。その可能性に賭け、入社を決めました。

幸運だったのは、希望通り、国際事業の準備を担う国際本部へ配属されたことです。当時、新卒の私にできる実務は正直ほとんどありませんでしたが(笑)

——そこで、その後のキャリアを決定づけるような体験をされたとか。

服部: はい。配属後、分社化によって誕生したNTTコミュニケーションズが、海外進出の目玉として米インターネット接続大手の会社を約6,000億円で買収しました。 しかし、その結果が惨憺たるもので……。わずか1年で5,500億円もの特別損失を計上するという、まさに歴史的な大失敗に終わったのです。

そうなると、全社員がその「尻拭い」をすることになります。私も事業を立て直す役割を担いました。買収先の会社が保有していたネット回線やデータセンターの設備を活用し、なんとか収益を捻り出す。例えば、欧州サッカー連盟のスポンサーシップと連動した動画配信事業の立ち上げなど、地道に売上と利益を積み上げる日々でした。

——巨額の損失処理と向き合った経験が、服部さんの血肉となったのですね。

服部: M&Aというものが、いかに会社の運命を左右するほどのインパクトを持つかという強烈な原体験になりました。このキャリア初期の経験が、後にCFOとしてM&Aを判断する際に、私が慎重になる礎を築いたことは間違いありません。「何をやったら間違えるのか」ということを常に考えるきっかけになりました。

▶2006年〜2011年:リクルート 投資実務・CVC時代

覚悟してリクルートへ。投資実務を通じてCFOの礎となるスキルを確立


——その後、2006年にリクルートへ転職されました。当時はどのような問題意識を持って次のステップを選ばれたのですか。 

服部: NTTでの仕事は非常に面白かったのですが、年次を重ねるごとに「一人のビジネスパーソンとして、ちゃんと実力を磨けているのか?」という疑問が大きくなっていきました。巨大な組織の看板や仕組みの上で仕事をしているだけで、イチから事業を創る力が自分にあるのだろうか、と。そのタイミングで、エージェント経由でリクルートから事業開発をやらないかというお声がけをいただいたのです。

当時のリクルートは、バブル期に背負った巨額の負債を完済し、高収益体質にはなったものの、多くの領域で圧倒的ナンバーワンとなり、成長の伸びしろに課題を抱えていました。新たな事業を創ることにフォーカスしたいという私の思いと、新規事業開発が急務だった同社の状況が完全に合致したのです。

——配属された事業開発室は、後に多くの起業家を輩出する伝説的な部署だったそうですね。

服部: 今振り返ると、すごいメンバーが揃っていましたね。じげん代表の平尾丈さん、Kaizen Platform代表の須藤憲司さん、ジーニ代表の工藤智昭さんなど、後に起業家として成功する人たちがゴロゴロいました。ただ、面白いことに、そこで手掛けたプロジェクトは、ほぼほぼ失敗しているんです。「四番バッターばかり集めても野球は勝てない」と言われますが、その典型的な例でした。

——服部さんご自身は、そこでどのような役割を?

服部: 業務の約7割を、CVC(コーポレートベンチャーキャピタル)の立ち上げに投じていました。社内では生まれないような新しい技術やサービスを持つベンチャー企業に出資し、事業リターンを生み出すという目的で動いていました。結果、投資としては一定の成果がありましたが、リクルート本体の事業にシナジーを生むという本来のミッションは、正直なところ果たせませんでした。しかし、この経験から得た学びは非常に大きかったです。

——CVCの立ち上げやベンチャー投資の経験が、その後のキャリアにどう繋がったのでしょうか。

服部: ベンチャー企業の事業計画を深く読み解き、経営者と対話しながらそのポテンシャルを評価する。このプロセスは、突き詰めれば「将来のP/L(損益計算書)を引く」作業であり、私がそれまで事業開発でやってきたことの本質と変わりませんでした。アウトプットが事業計画か企業価値(バリュエーション)かという違いだけで、求められる能力は極めて近い。ここで投資やファイナンスのプロフェッショナルたちと肩を並べられるような実務スキルを身につけたことが、私のCFOとしての礎となりました。

▶2011年〜2012年:Indeed買収プロジェクト

1,000億円のIndeed買収。財務指標を超えた未来のアセットへの確信 


——そしてキャリアのひとつのハイライトとも言える、Indeedの買収プロジェクトへと繋がっていきます。未知の巨大案件へのアサインされるわけですが、難題を前にして、最初から「これはいける」と直感されたのですか?

服部: 2009年の金融危機でリクルートも業績が大きく悪化し、国内マーケットの限界が誰の目にも明らかになりました。そこで、これまで本気で取り組んでこなかった海外展開、特に創業事業である求人領域でのグローバル化が経営の最重要課題となったのです。

2011年の暮れ、翌年から発足する新経営体制の役員に呼ばれ、「10年以内に求人領域で世界一になれ」という、信じがたいミッションを与えられました。メンバーは、後にリクルートホールディングスの社長になる出木場久征さん(当時は求人系事業の責任者)と私のたった2人。「この人たち、頭おかしいな……」と思いましたよ(笑)


オーガニックな成長では到底間に合わないので、選択肢はM&Aしかありません。しかし、リストアップされる買収候補は、いずれもリクルートの既存事業と同じで、ビジネスモデルとしてはいずれ陳腐化するだろうと思われるものばかり。それに数百億、数千億を投じる意味があるのか、と悩んでいたとき、とある投資銀行から「Indeedという面白い会社がある」と紹介されたのが始まりです。

——当時のIndeedは、まだ売上規模も小さく、未知の存在だったのではないかと思います。それでも最初から「これはいける」と直感されたのですか?

服部: まず出木場さんが現地に飛んで視察し、「すごく良い。真剣に検討したい」と。私もすぐに経営陣と対話し、人としてもビジネスとしても非常に魅力的だと感じました。ただ、当初は「価格が見合えば買いたい」という冷静なスタンスだったのも事実です。結果的に、買収額は約1,000億円。当時のIndeedは売上80億円、EBITDAマージン15%程度でしたから、既存の財務指標だけでこの金額を正当化するのはまず不可能です。バリュエーションの95%を未来の成長可能性に置く、まさに確信に基づいた賭けでした。

——その大きな賭けに、社内から反対はなかったのでしょうか。

服部: 後日談ですが、当時の役員は「上場していたら絶対に決められなかった」と振り返っていました。それほどハイリスクな判断でしたが、それを可能にしたのは出木場さんが提示した鮮やかなロジックでした。当時のIndeedは売上80億円に対し、ユニークビジター数は推定1.5億人だったと記憶しています。一方、リクルートの求人事業は売上1,000億円超でしたが、ビジター数は推定数百万人でした。つまり、1ビジターあたりの売上が、Indeedは圧倒的に低かったのです。

——採用単価が日米でそれほど変わらないとすれば、そこには大きな乖離がありますね。

服部: ええ。Indeedには推定1.5億人の求職者が集まるプラットフォームという「巨大な未実現のアセット」がある。そこにリクルートのマネタイズ手法を適用すれば、収益は爆発的に伸びるはず。この仮説に腹落ちしたとき、1,000億円という投資は確信へと変わりました。グローバル化への経営の覚悟、未上場という環境、現場の精鋭たちによる強力な推進。何よりIPOを目指していたIndeedが我々を選んでくれたこと。いくつもの奇跡が重なり、あの歴史的なディールが成立したのです。

▶2012年〜2020年:Indeed 米国本社CFO時代

予定外の米国本社CFO就任。実務の穴を埋める提案から道を切り拓く 




——買収成立後、Indeed米国本社へと出向された服部さん。そこでご自身初となるCFOの重責を担うことになりますが、この転身は当初から計画されていたものではなかったそうですね。

服部: 本当に予定外でした。私のキャリアを見ても分かる通り、会計や経理、金融に関する要素はほとんどなく、一貫して事業開発畑を歩んできましたから。

現地での最初の役割は、リクルート本体から派遣された、いわば社外取締役のような立場でした。役割は業績のモニタリングが中心。しかし、Indeedの成長スピードが凄まじく、私の仕事は早々に「今月も極めて順調です」と日本へ報告するだけの、手応えのないものになってしまいました。

そんな折、たまたま私の席の向かいに座っていたのが、当時のファイナンス責任者でした。当初、彼は私のことを「自分のクビを切りに来た刺客」だと本気で警戒していたようです(笑)。 対話を重ねるうちに、彼には「ファイナンスを足掛かりに、将来は事業サイドへ移り、CEOを目指したい」という強い野心があることが分かりました。そこで私は、一つの提案をしたのです。「あなたが経営のトップを目指すなら、日々の煩雑な財務実務は誰かに任せたいはずだ。その役割、私にやらせてくれないか」と。

——財務実務を自ら買って出たわけですが、それまで一貫して事業開発畑を歩んできた服部さんが、なぜファイナンスの領域でこれほどの成果を出すことができたのでしょうか。 

服部: 前任者が担っていたFP&Aの領域は、まさに私の得意分野でした。FP&Aとは、過去の実績を踏まえて未来を予見する仕事ですが、単なる数字の extrapolation(延長)ではありません。どこにどう投資すれば、どういうリターンが返ってきて、売上や利益がどう変化していくか。事業活動のプロセスを数字に置き換え、未来をデザインしていく作業です。これは、私が事業開発でずっとやってきたことそのものでした。

つまり事業を数字で語ることができたからこそ、国籍もバックグラウンドも違う前任者とシナジーが生まれ、「あとはよろしく」と仕事を任せてもらえ、彼がCOOのような立場に昇格したタイミングで、私が後任としてCFOに就任することになったのです。

▶2021年〜2023年:SHIFT 取締役CFO時代

急成長を遂げるSHIFTへ。CFOの職責として「守りの基盤」を構築



——IndeedでCFOとして大きな成功を収め、2021年に日本に帰国。そしてSHIFTのCFOに就任されます。このチャレンジの背景には何があったのでしょうか。

服部: 2020年のコロナ禍は、Indeedにとっても大きな危機でした。売上が一気に半減し、倒産すら頭をよぎりました。しかし、実はその前年から、私は「景気はいつか必ず悪くなる」と予測し、経営チームを説得してコストコントロールの仕組み、いわば避難訓練を実施していたのです。最初は過激な言葉とともに猛反発を受けましたが、実際に危機が訪れたとき、その仕組みがあったおかげで会社は赤字にならずに済みました。

この危機を乗り越え、会社は再び成長軌道に戻りました。もうこの会社は放っておいても大きくなるし、危機対応もできる。「やり切ったな」という感覚があったので、一度リクルートのホールディングス本社に戻ることにしたのです。

ところが、帰国後にたまたまSHIFTの創業者である丹下大さんと会う機会がありまして。同い年ということや、彼の持つ人を巻き込むパッションやチャーミングな人柄に強く惹かれました。精度を重んじる大組織から、再び事業の執行側でチャレンジしたいという気持ちが強くなってしまった。これが本音ですね。

——SHIFTに入社されてからは、どのような点に注力されたのですか?

服部: 当時のSHIFTは、丹下さんの卓越した発想による M&A 戦略で急成長を遂げていましたが、その凄まじい攻めの勢いとは裏腹に、ガバナンスなどのディフェンス面は未完成な状態でした。当時、グループ会社は20社ほどに増えていましたが、内部統制の仕組み化が追いついていなかったのです。

CFOの武器は、会社の隅々までを数字というフィルターを通して俯瞰できることです。数字を並べれば、どこが好調なウィニングチームで、どこに歪みや脆弱性があるかは一目瞭然になります。絶好調な現場に口を出す必要はありません。私が力を注ぐべきは、その背後に隠れた脆弱な基盤を修復し、強固にすることだと判断しました。

——上場企業として、持続的な成長には不可欠なプロセスですね。

服部: その通りです。攻め続けるためには、どれだけアクセルを踏んでも壊れない盤石な守りの基盤が欠かせません。実は私自身、バックボーンが事業開発ということもあり、本来はかなり攻めっ気の強いタイプです。正直に言えば、守りの仕事ばかりを好んでやりたいわけではありません。しかし、個人の好みよりも、今の会社にとって何がベストかを冷徹に判断し、実行するのがCFOの職責です。結果として、SHIFTでの私の時間は、この守りの体制を築くことに大半が費やされることになりました。

SHIFTでは攻めを支えるための基盤作りに心血を注ぎましたが、その過程で自分自身のコンディションについても考えるようになりました。正式に、プロフェッショナルとして長く価値を提供し続けるために、自分の健康と向き合いながら持続可能な働き方へと舵を切る語ら木方に舵を切りました。現在は、財務戦略アドバイザーとして成長企業を支援したり、外部登壇などを通じて、これまでの経験を次世代へ還元しています。

▶ 次世代のプロフェッショナルへ託すメッセージ

理想像は、数字で未来をデザインする「ストーリーテラー」



——数々の荒波を越えてこられた服部さんですが、改めて「CFO」という役割の本質をどう定義されていますか。

服部: ある方から教わった言葉で、非常に腹落ちしている表現があります。それは、「CFOとは、事業のストーリーを数字で語れる人である」ということです。P/LやB/Sは、あくまで過去の活動の結果に過ぎません。来年の計画を立てる際、「去年が20%伸びたから、今年も20%」と言うだけでは、そこに意志も価値もありません。

会社の戦略において、誰に、何に、どういうお金を投下し、どんな景色を描くのか。その未来をデザインすること。過去という事実を起点に、未来という壮大なストーリーを数字で描くこと。それができる唯一無二の役割がCFOだと考えています。

——現在は、CPAエクセレントパートナーズの社外取締役として、会計ファイナンス人材の可能性を広げる活動にも力を入れておられますね。

服部: はい。私自身、歴史的な大失敗から奇跡的な成功までを見てきて、会計ファイナンスというスキルの持つ爆発力を確信しています。だからこそ、多くのプロフェッショナルが成長の過程でぶつかる「ガラスの天井」を、私の実体験を伝えることで取り払いたい、という想いが強くあります。

——これからCFOを目指す若手、そして専門性を磨こうとしているプロフェッショナルへメッセージをお願いします。

服部: 私は公認会計士や証券アナリストの資格を持っているわけではありませんし、CFOとしては王道ではないキャリアを歩んできたかもしれません。しかし、だからこそ伝えられるのは、「スペシャリストであることはゴールではない」ということです。専門性が高ければ高いほど、自分の領域という殻に閉じこもりがちですが、その高い専門性を武器に、いかに会社全体の戦略に貢献できるかを考えてほしいです。

——AI時代において、その視点はますます重要になりますね。

服部: まさにそうです。AIによって定型業務の生産性が爆発的に上がるこれからの時代、会計ファイナンス領域の価値は、過去の整理から未来の創出へ完全にシフトします。ぜひとも「お金は戦略である」という視点を持って、過去の延長線上にはない、ワクワクするような未来を数字でデザインできるCFOを目指してください。



▼動画でさらに服部氏のキャリアや考えを知りたい方はこちらから▼


▼前編 【CFO対談】元Indeed CFOが語る1兆円企業のファイナンス戦略



▼後編  【CFO対談】元Indeed CFOが語る「AI時代に生き残るCFO」