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Road to TOP RUNNERS  澤田 正憲氏

公開日: | 更新日:

監査法人からスタートアップへ、20代で挑んだ越境

IT・不動産・ファンド傘下をCFOとして渡り歩き、能動的な決断で経営を動かす 

スタートアップにおける組織内会計士の先駆けとして、30代前半から上場企業のCFOを務めてきた澤田正憲氏。IT、不動産、大手PEファンド傘下、そしてAIスタートアップへと、あえて毛色の異なるドメインをCFOとして渡り歩き、企業の成長と変革を主導してきました。

幾度もの大胆な越境を可能にしたのは、未知の環境を恐れないバイタリティと、下した選択を自らの手で正解へと変えていく姿勢です。「横に逃げず、縦に突き抜ける」ことでキャリアを切り拓いてきた、その激動の軌跡から、これからの時代を生き抜く知恵を学びます。 

※以下、本稿では記事の読みやすさを考慮し、会社名の法人格(株式会社等)を省略して記載しています。

▶1994年〜2000年:太田昭和監査法人時代

金融ビッグバンの渦中で見出したIPO支援の面白さ

——澤田さんがキャリアをスタートされた1990年代半ばは、今のように「若手会計士がベンチャーのCFOを目指す」という前例が少なかった時代だったかと思います。当時はどのような将来像を思い描いていたのでしょうか。

澤田: 今の若い会計士の方々は、合格した瞬間から「将来はCFOになりたい」と明確なビジョンを持っていたりして、本当にすごいなと感心してしまいます。私にはそんな先を見通す力は到底ありませんでした。附属高校から経済学部に進み、大学3年で公認会計士試験に合格してそのまま監査法人に入ったので、「ずっとここでやっていくんだろうな」と漠然と考えていたくらいです。

——監査法人時代に、価値観を変えるほどの出来事があったのでしょうか。

澤田: はい。最初の5年間は国内監査部門にいたのですが、たまたま当時の上司がIPO準備の案件をよく取ってくる人で、その仕事が、信じられないほど面白かった。

通常の監査は社会的な意義のある重要な仕事ですが、個別の作業はどうしても「ここ、間違っていますよ」と指摘せざるを得ない場面が多く、どうしても口うるさい「審判」のような役割になりがちです。熱心にやればやるほど、クライアントから煙たがられてしまう。そんなもどかしさがあり、気持ちの中に少し引っかかりがありました。一方でIPOの支援は、課題を一緒に乗り越えることでお客様が心から喜んでくれますし、会社がどんどん成長していくプロセスをダイレクトに実感できる。そこに会計士としての底力を試される面白さを感じたんです。

——外側からの支援ではなく、内側のプレイヤーになろうと決めた決定打は何ですか。

澤田: 転機は、部門ローテーションで金融部に移った1998年頃でした。時代はちょうど「金融ビッグバン」の真っ只中。私の担当していた最大のクライアントであるメガバンクも合併を発表し、クライアント を失うことがほぼ確実な状況になったのです。

そうすると一時的には社内失業のような形になりますし、将来に対して強い不安が生じました。その状況に直面して、初めて「自分はこれから何をやりたいのだろう」と真剣に悩みました。行き着いた結論は、やはり一番面白かったIPOに関わる仕事だったのですが、外部の監査人やコンサルの立場ではどこまでいっても客観的な第三者。私としては、IPOの感動を第三者としてではなく経営の当事者として味わいたかった。そう腹が決まった瞬間に、新聞の募集広告で見つけた非上場で社員30名ほどの金融ITベンチャー、シンプレクスへの転職に踏み切りました。

▶ 2000年〜2013年:シンプレクス・テクノロジー CFO時代 

上場達成後に直面した危機感。機関投資家との対話で得た「投資家目線」の重要性 

——29歳でCFOに就任され、ベンチャーの実務の現場はどのようなものでしたか。

澤田: 中に入ってまず痛感したのは、外部からアドバイスするのと、実際に中で手を動かすのでは大きく異なるということでした。監査法人時代の大企業クライアントとは違い、IPOを目指すベンチャーには、そもそも体制づくりのためのデータが存在しない。データをどう整理するかではなく、データをどう収集するかの仕組みをゼロから作らねばならず、勉強不足を思い知らされました。

それでも必死にキャッチアップし、入社から2年でIPOを実現、2005年には東証一部上場まで会社を牽引することができました。在籍した13年間で、売上高を14億円から166億円へと10倍以上に急成長させた経営経験は、私の大きな礎となっています。

——東証一部上場という大きな目標を成し遂げた後、一転してキャリアに悩む時期があったそうですね。

澤田: 30歳という若さでIPOを達成してしまい、「別の会社でまたIPOを繰り返すか、それともシンプレクスに骨を埋めるべきか」と悩みました。さらに、転職して3年ほど経った頃には、別の強烈な危機感にも襲われたんです。事業会社にいると扱う会計基準が自社の事例に絞られてしまうため、「このままでは最新の会計トレンドについていけなくなる。会計プロフェッショナルに戻るなら今のタイミングだ」と、本気で監査法人への出戻りを考えたこともありました。

——その葛藤を完全に晴らしてくれたのは何だったのでしょうか。

澤田: 上場後にCFOの主務となったIR(投資家向け広報)を通じて、実際の機関投資家と直接対峙した経験でした。

それまでの私は、財務諸表を監査したり作成したりする立場にいながら、その実際の使い手である投資家がどのような目線で数字を見ているのか、という視点が完全に欠落していました。規則や事例を守るという狭い視点に縛られていた自分の姿勢を、彼らと対話する中で猛省したのです。

監査法人での「チェックする目線」、事業会社での「作る目線」、そして投資家の「使う目線」。この3つが自分の中で繋がったとき、ビジネスパーソンとして圧倒的にレベルアップできるという確かな手応えがありました。私はもう会計のプロフェッショナルに戻るのではなく、この最高に面白い上場企業経営の世界を極めようと、CFOとしてのキャリアに腹を据える決断ができました。

▶ 2014年〜2023年:サンウッド / ストリートホールディングス CFO時代 

異業界へのスライドとファンド傘下での苦闘

——シンプレクスを退職後、不動産業界のサンウッドへ移られます。ITとは全く異なる環境を選んだ理由を教えてください。

澤田: 私は同じ勝ちパターンを繰り返すのではなく、自分自身の能力の幅を広げるために、あえて真逆の環境を狙って選んできました。業種もITから不動産業へ、ステージも急成長企業からリーマンショック後の経営再建企業へと、意図的にスライドさせたのです。

前職のIT業界はお金をあまり使わないビジネスでしたが、不動産業は莫大な銀行借り入れを動かす間接金融の世界ですから、財務の勉強にもなると考えました。入社当時のサンウッドは、リーマンショックの影響から財務が大きく棄損し、 実質的に銀行からの新規借り入れがほぼできないような非常に厳しい状態でしたが、様々な工夫を凝らして財務基盤の立て直しに奔走しました。結果として、約8年間の在籍で、入社前は赤字黒字を繰り返していた企業を、 売上高200億円、営業利益10億円規模まで体質改善させ、最終的には大手の京王電鉄との資本提携を成立させて会社を引き渡すことができたのです。

——サンウッドの再建を成功させた後、50代で大手PEファンド傘下の企業へと再び舵を切った背景は何ですか。

澤田: サンウッドは非常に居心地が良く、待遇も含めて満足していたので、そのまま残る選択肢もありました。京王電鉄とのM&Aが決まりそうなタイミングから半年ほど、「このまま安定した生活を選ぶか、もう一度新しい場所で勝負するか」を本気で悩みましたね。ただ、やはりもう一段レベルアップするため挑戦を選び、2022年に大手PEファンドのベインキャピタルが主導するMBOステージ(ストリートホールディングス)への転職を決めたのです。

——ファンド傘下でのCFO業務は、どのような経験になりましたか。

澤田: 結論から言うと、自分の中であまり上手くいかなかった認識があります。ファンド傘下の企業では、 CFOという肩書きを持っていても、実質的には中間管理職のような立ち位置になってしまうと感じていました。

これまでの事業会社では、自分が優先順位をつけて「こっちの施策を先にやって、これは後にしよう」と考えて工夫することができましたが、ファンドはファンドの目線から異なる要望となるケースがあり、その都度すり合わせが発生します。特にファンド側との時間軸の違いに対するストレスが非常に大きかった。 さらに、ファンド参入に伴う組織の混乱を、私自身の力で抑えきれなかったという至らなさもありました。結果として1年強の在籍となりましたが、悔しい挫折を味わったと同時に、企業再生やファンドガバナンスの生々しいリアルを身を以て学べた貴重な期間だったと捉えています。

▶ 2024年〜現在:アミフィアブル CFO時代 

52歳からの新たなカウントダウン。システム開発の「テスト自動化」に挑み、次世代へノウハウを注ぐ

——その後、AIスタートアップであるアミフィアブルのCFOに着任されます。この出合いにはどのようなストーリーがあったのですか。

澤田: 次のステップを考える際、実はほぼプライム上場企業のCFOとしての転職が決まりかけていたんです。ただ、そこに行くと「安定しすぎていて、すぐつまらなくなってしまうかもしれないな」という迷いも抱えていました。そんな時、友人である転職者エージェントと会った際に「澤田さん転職するの?紹介させてよ」と言われ、彼が提示してくれた3社のうちの1社がアミフィアブルでした。友人は別の会社を勧めるつもりだったようですが、私はこの会社がやっている事業の社会的意義にピンときたんです。

面接に行ってみて驚いたのですが、代表取締役CEOの河村隆一がシンプレクス出身だったんです。私とは在籍時期が被っていなかったので面識はなかったのですが、共通の知り合いも多く、お互いにシンプレクスの社長にリファレンスを取り合ったりして、一気に意気投合して入社を決めました。

——アミフィアブルが手がける「システム開発のテスト自動化」事業には、どのような魅力を感じていますか。

澤田: 開発におけるテストというのは、ものすごく面倒で大変な割に、一回でもエラーが起きればシステムトラブルとして激しく叩かれる、まさに社会的意義は高いのに報われない仕事の典型です。これまではエンジニアの中でも比較的下位のレイヤーの方々が、低賃金で過酷に働かされるという不幸な構造がありました。それを私たちがシステムやAIの力で自動化できれば、彼らは本来やるべきクリエイティブなリソースへとシフトできる。システム業界における「夢のような世界」を自らの手で実現できるという点に、強く惹かれました。

——現在は、社内唯一の会計士としてどのようなテーマを持って組織に向き合われているのでしょうか。

澤田: 現在、私の下には10名のメンバーがいますが、社内の会計士は私一人です。そのため、会計士同士なら一言で分かるようなことも、他のメンバーに一から噛み砕いて教えていく必要があります。ただ、これは一社目のシンプレクス時代に一番苦労し、深く学んだことでもありました。「一般の事業会社で働くというのは、こういうことなんだ」という前提を当時たたき込まれていたからこそ、今の環境では全く苦になりません。

現在、私は55歳ですが、だらだらと会社に残って組織の新陳代謝を妨げるわけにはいかないので、60歳で第一線を引こうと決めています。だからこそ、この残された5年間で自分の持てるすべてのノウハウをチームのメンバーに伝え、彼らがこの会社、あるいは別の会社でもIPOを引っ張っていけるくらいに育て上げることが、私の最後の大きなテーマです。

▶ ライフスタイル・時間管理術 

夜の時間をスパッと切り捨てる。フルマラソンを3時間50分台で完走する自己管理

——CFOという重責を担いながら、フルマラソンを3時間50分台で完走されるバイタリティの源泉はどこにあるのでしょうか。

澤田: これまでのキャリアを支えてくれた最大の資本は、頑丈な身体と体力を授けてくれた両親への感謝に尽きますね(笑)。私は40歳からランニングを始めたのですが、今でも毎朝のルーティンとして継続しています。

実は、先週(取材当時)も長野でフルマラソンを走ってきたばかりなんです。当日は、CPAラーニングの顧問である渡辺淳さんや、ZOZO取締役副社長兼CFOの栁澤孝旨さんという同い年の3人+数人の仲間たちで走ったのですが、41キロ地点まで3人はほほ並んで走っていて凄まじいデッドヒートを繰り広げました。3人とも3時間50分台で完走しましたが、同じ歳のライバルたちには良い刺激をもらっていてお互いに切磋琢磨しています。 

——多忙を極めるスケジュールの中で、トレーニングの時間をどのように捻出しているのですか。

澤田: 時間のやりくりを工夫するだけです。色々と考えた結果、人間が一番無駄な時間を使いがちなのは「夜、家に帰ってからテレビを見たりしてだらだら過ごす時間」だなと気づいたんです。だから、私は夜のだらだら過ごす時間をスパッと切り捨てて早く寝るようにしています。

きっかけは、子供を寝かしつけようとして一緒に夜9時に寝てしまったことでした。早く寝れば、当たり前ですが朝早く目が覚めます。「せっかく朝に時間ができたから、30分だけでも走ってみようか」と始めたのが朝ランの始まりでした。何事も短い時間でも継続することが一番大切で、それは仕事もランニングも全く同じです。この習慣のおかげで健康が維持できるだけでなく、 メンタルが非常にタフになり、仕事でどれだけタフな問題が起きても、一晩ぐっすり寝て走ればきれいに忘れられる楽観主義が身につきました。

▶ 次世代のプロフェッショナルへ託すメッセージ 

壁に当たった時こそ、横に逃げず縦に突き抜ける

——これからCFOや経営の道を模索している若い会計士に向けて、最も必要とされる能力は何だと考えますか。

澤田: 監査法人やコンサルティングファームの仕事において、構造的に一番身につかないのは「決断力」ではないでしょうか。なぜなら、それらの仕事は基本的には判断材料となる事例や様式を調べ、選択肢を提示して、最終的な判断は顧客に委ねる立場だからです。自分自身のリスクで決定を下したことがほぼないはずです。

しかし、事業会社の経営において求められるのは決断力です。自分で決めて、その結果として苦い思いを何度も重ねない限り、この力は絶対に身につきません。経営における意思決定というのは、事前の評点やシミュレーション結果が高いものが必ずしも正解とは限りません。むしろ、「みんなは良いと言うけれど、会社の本質的な成長のためには全員が嫌がる選択肢を選ばなければならない」ということすらある。そこから生じる軋轢やコンフリクトをその身に受ける経験は、事業会社の中で自ら意思決定しなければ絶対にできません。だからこそ、もしCFOを目指すのであれば、少しでも早く「自分で意思決定するか、 決断を下す人間が身近にいる環境」に身を置くべきです。

——外の世界へ飛び出す前に、今いる場所で若手が意識すべき行動を教えてください。

澤田: よくキャリアに悩む若手の相談に乗ることがありますが、彼らを見ていると、壁に当たったときに「横に逃げている」ように見えるケースが非常に多いです。今いるドメインで縦に突き抜けていないのに、行き詰まったからといってフリーランスになったり、安易な転職を繰り返して横に横に逃げていっても、次のキャリアは絶対に開けません。

監査法人にも、スタッフからインチャージ、マネージャー、パートナーと明確なステップがあり、それぞれのレイヤーで悩みの質が違うはずです。もう一段上の目線で真剣に仕事をしてみてください。そして、周囲の誰もが「あの人はいつパートナー(マネージャー) になってもおかしくない」と認めるレベルまで、今の場所で徹底的に突き抜ける。そこまでやりきって初めて、外の世界へ飛び出す切符が手に入るのだと思います。

——最後に、挑戦を志す読者へメッセージをお願いします。

澤田: 私にとってCFOとは、単なる「会計の専門家」ではなく、「財務・会計という最強の武器を持った、経営チームの一員」です。他のメンバーと経営会議で対等にディスカッションするためには、会計の枠にこもらず、事業や経営全般の幅広いバックグラウンド知識を能動的に獲りに行く自覚が必要です。

人生は一度きりですし、どの道が本当に正解だったのかは死ぬまで分かりません。だからこそ、自分が「ここだ」と決めたキャリアを、自らの能動的な決断の連続で正解にしていく。そんな気概を持って自分らしい道を歩んでほしいですね。