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Road to TOP RUNNERS  関 威氏

公開日: | 更新日:

国際監査の現場を経験し、会計のプロから外資系生保のCFOへ

GE、ハートフォード、メットライフ。数々のグローバルな金融機関で要職を歴任し、現在はFWD生命のCFOを務める関氏。20年以上にわたり外資系生命保険業界のCFOとして、企業の成長と変革を数字の面から支えてきた財務戦略のプロフェッショナルです。

関氏の真骨頂は、結果を出すことへの強いこだわりと、いかなる仕事も断らないという行動哲学です。ハードワークが美徳とされた激動の時代を駆け抜け、会計の専門家からいかにして「CFO=経営のパートナー」へと進化したのか。その変革の軌跡を紐解きます。

※以下、本稿では記事の読みやすさを考慮し、会社名の法人格(株式会社等)を省略して記載しています。

▶1988年〜1989年:公認会計士試験2次試験合格・
予備校講師時代

結果がすべて。予備校講師時代に学んだ、言い訳をしない姿勢

——20年以上にわたり外資系生保のCFOを担ってこられた関さんですが、キャリアの原点である公認会計士を目指されたのには、どのようなきっかけがあったのでしょうか。                              

関: 特別な物語があるわけではなく、父親が公認会計士だった影響が大きいです。大学で進路を考える頃になり、中央新光監査法人の代表社員を務めていた父親の姿を見て、自分も公認会計士を目指してみようかな……と、予備校に通い始めたのが始まりです。

——合格後、すぐ監査法人に入らず、予備校で1年間講師をされた意図を教えてください。

関:予備校で受験勉強をしていたとき、前年に合格した先輩方が講師として教壇に立つ姿を見て「かっこいいな」と思ったんです。講師になる方法を調べると、全国模試や答練で上位に入ることが条件だと知りました。そこから一段と勉強に力を入れたところ、 模試で全国6位に入り、本試験の合格後、無事に講師職のオファーをいただきました。教壇に立つことで監査法人の入所は1年遅れることになりますが、当時はまったく気にしていませんでした。 

——講師の経験は、その後のキャリアにプラスの影響を与えましたか。

関: 講師という仕事は、自分がどれだけ一生懸命に熱意を持って教えても、担当した受講生が合格しなければ、それまでの努力が評価されにくい世界です。不合格という結果の前に、プロセスは何の言い訳にもなりません。プロとして「結果を出すことの重み」を肌で知った最初の経験であり、それが自分のマインドの原点になりました。 

▶1989年〜2000年:中央新光監査法人 国際部・米国ダラス赴任時代

「頼まれた仕事は断らない」。膨大な経験量と本音の対話で磨いた胆力 

——中央新光監査法人で国際部に配属されたのは、ご自身の希望だったのですか。

関: はい。国際部を希望したのは、父親が国内部門のトップにいたからです。「同じ部門に息子がいるのはまずいだろう」という、周囲への気遣いもあったと思います。当時の国際部はクーパース&ライブランドと提携しており、まだ世界に8つの巨大会計事務所ネットワークが存在し、通称「ビッグ8」と呼ばれていた時代です。

——外資系のクライアントの監査チームで同僚と仕事をする中で、苦労したことを教えてください。

関: やはり、コミュニケーションの難しさですね。国際部にはアメリカやイギリスなど多くの外国籍の同僚がいました。彼らが話す英単語は聞き取れるし、知らない言葉もないのに、何を言いたいのかが全く理解できない……という現象がよく起きたのです。それは、言葉の裏にある彼らの文化や背景、文脈を理解していないからだと気づきました。日本人が面白いと思うギャグが外国人に全く通じないのと同じで、言葉そのものを学ぶ以上に、彼らの文化に深く触れ、思考の前提を理解することが重要だと痛感しました。

——その課題は、1994年からのアメリカ赴任で克服されていったのでしょうか。

関: そうですね。テキサス州ダラスに赴任した約5年間は、本当に良い経験になりました。赴任して1年でマネージャーに昇格して、多くのクライアントを担当しました。アメリカのビジネス環境では、言いたいことをはっきり言わない者は存在しないとみなされます。私もアメリカ人の同僚と激しい口論や本気のぶつかり合いを何度も経験しました。そうやって本音でぶつかり合うことで、初めて相手の真意が理解できたり、こちらの意図を分かってくれたりして、最終的な落としどころが見つかる。タフな環境で本気でぶつかり合った経験が、ビジネスパーソンとしての胆力を大きく育ててくれました。

——実務経験も英語力も発展途上の若手時代、どんな自己研鑽をしていましたか。

関: ある先輩から言われた「頼まれた仕事は絶対に断るな」という言葉が、私の信条になりました。当時は「24時間、戦えますか」というキャッチコピーのCMが流行し、それがビジネスパーソンのあるべき姿として前向きに受け止められていた時代ですから、いくら忙しくても目の前の仕事を実直に引き受け、平日の深夜2時にタクシーで帰るような生活も全く厭いませんでした。 

さらに実務だけでなく、インプットの面でも妥協はありませんでした。幸運だったのは、国際部の上司たちが非常に教育熱心で、土曜日にも自主的な勉強会を開いてくれたことです。そもそも私は決して器用な人間ではありませんから、プロとしての土台を作るために、とにかく圧倒的な「努力の時間と量」でカバーするしかなかったのです。

しかし、プライベートを完全に犠牲にしていたわけではありません。ワークライフバランスはかなり偏っていましたが、週に1回のスポーツジムでのトレーニングと合コンに参加する時間だけは、強い意志を持って死守していました(笑)

——事業会社のCFOという役職を明確に意識し始めたのはいつ頃ですか。

関: ダラスにいた頃です。当時の日本企業ではまだCFOという肩書きは一般的ではありませんでしたが、アメリカのクライアント企業ではCEOやCFOというポジションが当たり前に機能していました。そこで目にしたCFOは、その下で実務を黙々とこなしているコントローラーとは明らかに異なり、CEOと対等なタッグを組み、自らの意思決定で会社を動かしている「かっこいいおじさん」たちでした。その姿に憧れを抱き、自分が事業会社へ進むのであれば、CFOというポジションを目指そうと決意したのです。

▶2000年〜2011年:GEエジソン生命 / ハートフォード生命 / メットライフ生命 CFO時代

「かっこいいおじさん」への憧れ。GEへの転職と生命保険の醍醐味

——2000年に中央青山監査法人を離れ、GEエジソン生命へと転職されます。保険業界を選ばれた理由を教えてください。

関: 転職活動の際、外資系の銀行、証券、保険の3業界に絞ってアプローチしていました。その中でGEエジソン生命を選んだのは、当時ジャック・ウェルチがカリスマ経営者として席巻していた、GEという巨大なモンスター企業そのものに強烈な魅力を感じたからです。提示された給与条件は、実はオファーがあった企業の中で一番安かったのですが、そこは判断基準ではありませんでした。「新しい世界を見てみたい」という好奇心が勝ったのです。

転職当初は、日本法人のコントローラー(経理部長)として入社しました。監査法人から事業会社に移って一瞬感じたのは、「隣の芝生は青い」ということでしたね。監査法人時代は周囲が全員会計のプロフェッショナルで、共通言語で会話ができていたのに対し、事業会社の現場では、経理スタッフにイチから細かく説明する必要があります。それがもどかしくて、「監査法人のスタッフをここに連れてきたい」と思ったこともありました。しかし、それはあくまで一時的な戸惑いに過ぎませんでした。

——その後、現在に至るまで20年以上にわたり生命保険業界でキャリアを築かれています。この業界のどういった点に魅力を感じられたのでしょうか。

関: 生命保険というビジネスは、底が知れないほど奥が深いです。損害保険の多くは1年ごとに更新を迎えますが、生命保険は終身保険に代表されるように、30年、40年、あるいはそれ以上の歳月にわたってお客様との契約が続く「超長期」のビジネスです。すぐに結果が出ない、正解が分からない世界だからこそ、夢中で仕事に励んでいるうちに、気づけば20年以上の歳月が流れていました。

保険会社のバランスシートは、お預かりした保険料を運用するアセット(資産)と、将来の保険金支払い責任であるライアビリティ(負債)という、大きく2つの要素で構成されています。資産側には運用の専門家であるチーフ・インベストメント・オフィサー(CIO)がおり、負債側には死亡率や罹患率などの統計学を扱う数理の専門家、チーフ・アクチュアリーがいます。例えば、近年の医療テクノロジーの進化によってがんの早期発見率が上がると、がん保険の給付金支払いが想定を上回って急増する。つまり、外部環境の変化によって、過去の統計に基づく数理の前提条件は常にアップデートを迫られるのです。

この、金融と数理という全く異なる専門分野を両輪として束ね、資産と負債のバランスを長期にわたって緻密にコントロールするALM(資産負債管理)を主導することが、生保におけるCFOの特徴的な役割です。40年を超える超長期の負債に対して、日本の資本市場には最長でも40年の国債しか存在しない。この期間のギャップをいかに管理し、リスクを抑え込むか。この難解極まるテーマに挑むことこそ、このポジションの醍醐味なのです。

▶2011年〜2023年:プルデンシャル・ホールディング・オブ・ジャパン CFO時代

三社合併という最大の修羅場。精緻なロジックと丁寧な根回しで挑んだPMI 

——CFOキャリアの中で、最も価値を出せたと感じるエピソードを教えてください。

関: プルデンシャル時代に主導した、総資産16兆〜17兆円規模に及ぶ三社者合併(旧東方生命、旧千代田生命、旧共栄生命を母体とする統合)ですね。これはまさに私のキャリアにおける最大の修羅場でした。特に大きかった課題は、合併後の統合プロセス(PMI)において、アメリカの親会社が求める統合シナジーをいかに創出し、人員やオフィスの削減といった具体的な効率化を数字でどうやって証明するかでした。 

——具体的に、どのような舵取りが求められたのでしょうか。

関: アメリカの親会社は、非常にシビアに「統合によってどれだけのコストが削減され、シナジーが生まれたのかを数字で説明しろ」と要求してきます。しかし、現場にはそれぞれの歴史や実情があり、部門ごとにシナジーの出し方は異なります。「人数は減ったのに、なぜ人件費の総額が下がっていないんだ」というような突っ込みに対して、現場の状況を汲み取りながらも、親会社が納得するロジックと説得力のある数字を組み立てていく。これはファイナンスのプロでなければできない仕事でした。

——現場の反発を抑えるコミュニケーションも不可欠だったかと思います。

関: 私は、自分の部屋にこもって部下からの報告書を待つだけのCFOが大嫌いなんです。書面での報告は、読んでいるだけで眠くなりますから(笑)。私が大切にしているのは、自ら現場に足を運んで対話する「ウォーク・アンド・トーク」というスタイルです。

三社合併の際も、まずは各部門の現場の担当者のところへ自ら歩いて行き、徹底的にディスカッションを重ねました。現場の課題をヒアリングし、「この方向で本社にレポートを上げますね」と合意を形成する。つまり「根回し」を怠らなかったからこそ、現場との軋轢を最小限に抑え、大規模な統合プロセスをスムーズに成功させることができたと考えています。

▶2023年〜現在:独立、そしてFWD生命CFOへ / 次世代へのメッセージ

CFOは「CEOへの登竜門」。若手はネットワークとAIを武器にせよ

——ご自身のキャリアを振り返り、若いうちにやっておけば良かったと感じることはありますか。

関: 異業種のネットワークをもっと若い頃から広げておけば良かったですね。若い頃の私は、優先順位が目の前の仕事、ジムという順番で、社外や異業種のネットワーク作りを後回しにしていました。「この会合に行って何のメリットがあるのか?」と、目先の損得で考えていた部分もあったと思います。今では様々な会合に積極的に顔を出すようにしていますが、これは20代、30代の若いうちから意識して時間とお金を投資しておくべきでした。

——AIの進化など、会計ファイナンス人材を取り巻く環境は激変しています。これからの不確実な時代を生き抜く若手に向けて、アドバイスをいただけますでしょうか。

関: まず、AIの進化を絶対に侮ってはいけません。現在はまだ「食べている量(学習データ)」が少ないため、精度の低さが目立つかもしれません。しかし、AIがデータを咀嚼するスピードと量は人間の比ではない。まもなく、誰もが納得する実用レベルへと到達します。

監査実務に関して言えば、過去の膨大な監査調書を整理したり、リスクアプローチの土台となる基礎資料をまとめたりといったリサーチ業務は、いずれすべてAIが担うようになります。これは恐れるべきことではなく、むしろ歓迎すべき変化です。こうした定型作業をAIに委ねることで、私たちはより高次元の業務に集中できるようになります。AIを遠ざけるのではなく、いかに自分の優秀なアシスタントとして効果的に活用するか、まずは真剣に向き合ってみてください。どれだけテクノロジーが進化しようとも、最後の判断を下す役割は、決して代替されることのない、私たち人間にしかできない領域なのですから。

——最後に関さんにとって、CFOとは一言で言うとどのような存在でしょうか。

関: CEOの最高のビジネスパートナーであり、懐刀です。そして、若い人たちには、CFOというキャリアを単なるゴールではなく、CEOになるための重要な登竜門として捉えてほしいと思っています。

欧米のグローバル企業では、CFOを経てCEOに就任するキャリアパスが多く見られます。数字というフィルターを通して会社の全体像を客観的に把握し、戦略を組み立てて経営を動かしていく。CFOとして修羅場をくぐり抜けた経験は、最高の経営者になるための最も確実なステップになると確信しています。

仕事に必要なスキルには、テクニカル、ヒューマン(人間関係)、ビジネスセンス(経営センス)の3つだと言われますが、これらは座学だけで身につくものではありません。若いうちはテクニカルが9割かもしれませんが、職位が上がるにつれて、人間関係や経営センスのウエイトが断然高くなっていく。だからこそ、若いうちに目の前の仕事に圧倒的な「量」で挑み、現場の修羅場を通じて、これら3つのスキルを同時に、かつ強制的に「質」へと転化させていく必要があるのです。 

公認会計士という資格は、監査法人で会社の中身をつぶさに目撃しながら、この3つのスキルのベースを最速で血肉化できる最強の特権を持っています。ぜひ、自分の領域を狭めることなく、圧倒的な経験値を次なる決断の武器に変えていってください。